どうも皆さま、ボンジョルノー♪
今日はなんだか日本が冷えているようですね。しかも電力不足とか。やはり氷河期が近づいているんですねぇ。どうぞ体調崩さないように!
昨日は、イタリア在の友達と爆笑ズームお茶会で、怪しくなった日本語と怪しいイタリア語まぜまぜで話せて”楽”でした〜^^;w。在住歴長い同世代。最終的に今、必要なのは脳トレ。ということでまとまりました。ヤバイわ〜。。。
でも、そんな風にみんなで一緒に歳をとっていく…のだから、受け入れて、笑いあって。そういう…”おばちゃん感”を大事にしていきたいと思っていますよ・大笑。
キエフからの長い避難の旅
さて、週末、素敵なニュースがありました。
イタリアに、すでに6万人の難民が到着しているそうですが、公民合わせて受け入れ態勢ができているとのこと。主に国境に近い北イタリアやローマなどに集中しているようですがシチリアもウェルカム体制になってます。
そうはいっても遠いから…なかなかアレですが、週末、パレルモ近郊の海沿いの街”テルミニ・インメレーゼ”に11人がキエフ到着しました。
▼意訳でご紹介。リンクには動画もあるのでイタリア語を勉強中の方は見てみてねー。
ウクライナからの長い旅を終えた彼らは、テルミニ・インメレーゼの海を見下ろす丘の上、ウクライナカラーとイタリアのトリコロールに描かれたBenvenuto(ウェルカム)に歓迎された。11人にとっての新しい家、安全な場所。彼らに別荘を提供したマルコ氏の笑顔。
責任者であるアナトリジ氏が、シチリアに長く暮らすウクライナ人のパウリーナさんの通訳の助けを借りて語った。
キエフに爆撃があった直後、数分で脱出を決断。3時間だけ開いた人道回廊から逃げるため、慌ててバンに必需品だけ詰め混み、彼自身、妻、二人の子供、そして彼が施設長を務める孤児院の7人の子供達を救い出すことに成功した。
しかし、現地には3人の子供達が残ているという。1人は自身の息子、2人は孤児。彼らは戦うためにキエフに残ることを決めた。話す目には涙が溢れる。ここ数日、彼らとの連絡は途絶えている。
避難中に、シチリア人グループに出会った。家の提供者であるマルコ、元消防士のピーノ。
ピーノは、90年代に消防士相互扶助協会を立ち上げ、チェルノブイリから1200人の孤児をシチリアで保護した人物だ。彼は、ウクライナ難民を支援するために活動を再開。
アナトリジの施設で養子縁組をした友人から連絡があり、無償で家を提供する告知をFBに投稿したマルコとも繋がった。「彼らが安全で落ち着いて暮らしている様子を見るだけで十分です」とマルコ。
多くの寛大な市民の連携で、清潔なシーツ、食べ物などが用意されたが、まだやるべきことはたくさんある。特に、教育機関の介入。学校へ通い、イタリア語を学ばなければならない。恐らく長期に渡りここにここに留まることになるだろうから。
テルミニ・インメレーゼ市は、彼らへの補助を始めたが、市長は国と州へ要求をする予定。「今後、安定的な管理が必要になる。コロナの時のように組織的に対応していかなければならない。ボランティアは懸命に支援しているが、明確なフレームワークがないままでは無理がある。多くの難民が到着している地域では、同伴者のいない未成年の場合など、どうしていくのか。
私たちは子供達の存在をすぐに警察と州に報告した。細心の注意を払って管理しなければならない問題だ」と、市長は繰り返す。「機関の介入が不可欠だ。私たち市行政は、協会や人々の善意を超えた事態を扱うことになることを訴えていく。容易ではない。」
確かに、法律上どういった扱いにするのか、子供たちの問題はデリケート(特に両親がいない、離れてしまったなども多く、国境で誘拐もあるそうですよ…)。
今は避難民を保護することに必死ですが、長期化すれば難民問題が表面化してくるでしょうね。。。欧州避難債とか発行すれば良いのに。と思っているよ。
爆撃の音が聞こえる場所から、このポカーンとした青空と青い海を前に、美味しいシチリア料理。ギャップ凄すぎますね。
逆に、爆撃される恐怖もなく、今いる場所を追われることもなく、のんきに太陽を浴びていられることは、たまたまの幸運でしかないんだなと思わされます。
ロシアの侵攻の早期撤退を願いますよ、ほんと…。
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