どうもー皆さま、パレルモからボンジョルノ♪
かの有名なシチリアマフィア『コーザ・ノーストラ』の最後の大ボス、メッシーナ・デナーロの逮捕のニュース。世界を駆け巡りましたが、ご当地イタリアでは、報道合戦が加熱しておりますよ(そりゃそーだ)。
メッシーナ・デナーロは、イタリアマフィア史上最も残虐な事件と言われるディマッテオ事件の首謀者の1人。そのため、改めて事件の全貌を紹介する記事や、遺族のコメントも登場してしています。
ディマッテオ事件とは、なんなのか?現地記事を註釈入りの翻訳で、ご紹介しましょう!
ディマッテオ事件 ”酸で溶かされた子供”の遺族の悼み
まずは、デナーロ逮捕直後のご遺族のインタビューから。事件の概要と今も忘れることのできない心の痛みが伝わります。

大ボス逮捕!酸で溶かされた小さなジュゼッペの兄弟が語る
「彼が病気だと知りました。できれば長生きをして、出来るだけ長く、私の兄…無実の小さい男の子に課した、同じだけの苦しみを味わって欲しい。」30年もの逃亡の末、パレルモの病院で逮捕されたコーザ・ノーストラのボス、マッテオ・メッシーナ・デナーロ。
このニュースに、ニコロ・ディマッテオは、喜びを感じない。喪失感、そして、兄ジュゼッペ・ディマッテオが、どうやって殺されたかを思い出す。そのとてつもない痛みは、今も消えてはいない。
ジュゼッペ・ディマッテオは、1993年11月23日の午後、マフィア「コーザ・ノーストラ」に誘拐された。当時、わずか12歳だった。
それは、ジュゼッペの父親サンティーノの”裏切り”を咎め、脅迫するために、メッシーナデナーロを含む、ボスたちの命令によるものだった。
サンティーノ・ディマッテオは、マフィアだったが、警察に寝返り、協力することに決めていた。これをよしとしなかったボスらは、共謀してジュゼッペを誘拐し、25ヶ月もの長きに渡り監禁。そして、1996年1月11日、絞殺して酸で溶かすという残虐行為に及んだ。
弟ニコラは、続ける。「私は、彼の死を望んではいない。兄が苦しんだと同じだけ、長く苦しんで欲しいんです」。マフィアのボスは、大腸ガンの治療中だ。
「とても長い時間でしたが、当局は、常に捜査の意欲を見せてくれていた。母は、待ち望んでいたニュースに、満足はしていますが、複雑です。今もある心の中にある痛みは、一生消えないでしょう。許し?不可能です。ジュゼッペにした残虐な行為の前に、許すなど考えられませんよ。小さな子供だったんですよ。彼は、私の兄と同じように苦しまなければならない。人間としてあり得ないことをしたんだ。」
Il fatto quotidiano 2023-01-16 から 要約・翻訳
残虐なディマッテオ事件が起きたのは、1990年代。さほど、昔ではないんですよね。
当時から、マフィアが、とうとう「子供まで巻き込んだ」ことで、イタリアに衝撃を与えたディジュゼッペ事件は、イタリアでは長く語り継がれていますが、日本では多分、あまり知られていないでしょう。
”当時のニュース”を改めて報じる記事も出たので、事件の詳細も紹介しておきますね。実行犯の裁判証言もあるので、かなり具合的です…(一応、閲覧注意ね!)。
ディマッテオ事件、ジュゼッペはどうやって誘拐されたのか
マッテオ・メッシーナ・デナーロが命じた最も凶悪な犯罪
最も「探された」マフィアのボス、マッテオ・メッシーナ・デナーロ。30年もの逃亡の末、ようやく逮捕された。
イタリア国家に対する組織的な攻撃、数十件に及ぶ殺人…。数々の重犯罪が、告発されている。彼が直接的に手を下していないものも多数あるが、警察の捜査と、すでに検挙された何人かのマフィアの証言を再構築すれば、組織犯罪を犯したボスの1人として、立件も難しくはないだろう。
私たちがよく知っている事件のひとつに、ジュゼッペ・ディマッテーオの殺害がある。
この殺人事件については、実行者の1人、すでに逮捕済みのキオードが、1998年の公判で詳細を語っている(後述)。
ジュゼッペは、1981年にパレルモで生まれた。
父親のサンティーノは、元マフィア。殺人罪によって、1993年6月4日に逮捕されたが、司法取引に賛同した。サンティーノの証言によれば、とりわけ重要なのは、カパーチの虐殺(ファルコーネ判事の爆殺)と、インニャツィオ・サルヴォの殺害だ。
コーザ・ノーストラのボスたちは、サンティーノに、これら「事件の自白」の撤回させるため、1993年11月、当時12歳だった息子ジュゼッペを誘拐した。
誘拐実行犯は、マフィア対策の警官を装い、「パパに会わせてあげる」と息子に近づいた。当時の様子を、後に、サンティーノ同様に司法取引をした元マフィア、ガスパーレ・スパトゥツァが警察に証言している。
「少年の目に、我々は天使のように映ったでしょう。しかし、実際は狼だった。彼は幸せそうに「僕のパパ、アモーレ・ミオ!」と言ったのです」。
この瞬間から、ジュゼッペ・ディマッテオの2年以上の監禁拘束が始まった。監禁場所は、警察の目を逃れるため、一定の頻度で移動した。すでに逃亡中だったメッシーナデナーロの隠れ家にも、一時置かれていたという。最後の6ヶ月は、ジュゼッペはパレルモの近郊にいた。
組織内の重要人物の1人で、当時逃亡中だったジョバンニ・ブルスカに終身刑の判決が下ると、ブルスカは、部下にジュゼッペの殺害を命じた。1996年1月11日、すでに15歳になっていたジュゼッペ。
殺害を実行した犯人の1人、キオード。彼は、公判で殺害の様子を語っている(↓)。
Il post 2023.01.16から 要約・翻訳
要するに、ジュゼッペの父親サンティーノが、逮捕時に自身も所属していた「コーザ・ノーストラ」を裏切ろうとしていたのを、思いとどまらせようとする脅迫誘拐なわけですね。
ちなみに、イタリアのスラングで「マフィア脱退に際して、司法取引をするマフィアをペンティート(後悔者)」と呼びます。上に登場する、パパ、サンティーノ・ディマッテオとガスパーレ・スパトゥツァは、元記事内で”ペンティート”と呼ばれています。
はい、じゃあ、下に続きますよ!
「桶に酸を入れ、子供を運んだ」実行犯マフィアの証言
これが、実行犯の1人、キオードの証言だ。
私は少年に、壁の方を向いてベッドの端に座るように命じました。少年は、私が言った通りに座ったので、彼の背後に回り、首にロープをかけました。
ロープを力強く引き、少年を床に倒すと、ブルスカが、腕をクロスした状態にして抑えました。モンティチョーロが、足を押さえていました。
モンティチョーロは、足を押さえながら「ごめんね。君のパパが裏切ったんだよ」と少年に言いいました。
少年は、こんなことになるとは思っていなかったのでしょう。何もわかってないように見えました。彼は、ぐったりとして、何も反応しませんでした。
食事も与えていたし、何も不足はなかったはずです。でも、確実に自由はありませんでした。
少年は、ぐったりと柔らかく、まるでバターのようで…つまり、彼は何も理解していなかったと思うのです。死にかけていたことも、おそらくわかっていなかったと思います。
一瞬だけ、ゆっくりと跳ねるように反応しましたが、すぐに動かなくなりました。ただ目だけが…、目だけが動いていました。
私が服を脱がせると、少年は失禁していました。怖かったのか、もしくは自然現象なのかは、わかりません。
それから、腕時計などを外して、桶に酸を注ぎ、子供を運びました。私が足を持ち、ブルスカとモンティチョーロが腕を持って運びました。
そして、酸の中に入れ、その場を立ち去りました。
私が、彼の様子を見に行くと、そこには、背中の一部と足のカケラがあるだけでした。かき混ぜて見えたのは、それだけです。そして、すぐにまた立ち去りました。
酸の悪臭がすごくて、息苦しかったからです。それから、皆で眠りにつきました。
キオードのほか、ヴィンチェンツォ・ブルスカとジュゼッペ・モンティチョーロが実行に関わっている。
ジュゼッペ・ディマッテオの殺害に関しては、10件以上の犯罪が控訴された。実行に関わった3人の犯人に加え、2012年の裁判で、すでにメッシーナ・デナーロには、終身刑が言い渡されている。
Il post 2023.01.16から 要約・翻訳
狂ってますね!
残虐なシチリアマフィアの時代は、90年代まで
この代表的な事件の他にも、数々の恐ろしい事件に関わり、多数の起訴がされているのに逃亡し続けて30年。そんな最後の大ボス、メッシーナ・デナーロが、やーっと逮捕されたっていうんで、イタリア中、特にシチリア、いやとりわけパレルモが大騒ぎになっている。というわけです@なう。
逮捕の瞬間は、ホントすごかったです。連行される際、活躍した警察に「グラッツェ!」と叫ぶ人々が多数いて、見ていて、ちょっと涙が出ましたよ…。
▼こちらが逮捕後の様子。感激する警察チームと人々にちょっと感動したー。
メッシーナ・デナーロや、トト・リーナ、プロヴェンツァーノ…他多数。
シチリアマフィア「コーザ・ノーストラ」を世界的に有名にした大ボスたちが、暗躍したのは、1980年終わりから1990年代にかけて。その時代にようやく正式に幕を下ろした。という感じなんですよね。
▼特に、トト・リーナがボス中のボスになった時代、その残虐性を増したコーサ・ノーストラ。そんなトト・リイノもすでに獄中死済み。
とはいえ、数百年前ってわけでもなく、つい30年前とも言えるので、、、血塗られた時代の辛い記憶は、まだパレルモの街の人々の心には、鮮明に残されているもので…。
残虐マフィアの時代に幕を下ろし、そしてパレルモが、今やすっかり、イタリア随一の反マフィアの街になっていたとしても。
シチリアといえば、「ゴッドファーザー」。でも、あれは夢物語。本物のマフィアってこんな人たちなんですよ。だから、もしアナタがパレルモにきたときに、「マフィア!」「ゴッドファーザー!」とキャッキャして言うと、傷つく人がいるかもしれないので、その辺、気をつけた方が優しいよ。って言うことも、ちょっと付け加えておこうかな。と思う次第です。
日本から「本物のマフィアー」ってキャッキャしたコメントとかメッセージもらって、なんかちょっと悲しい気持ちになりましたの。私は傷ついてないけど、傷ついた人たちも知ってるからさ…。
あ、あと「シチリアは、マフィアがいて危ない」ってイメージも、情報が古すぎます(90年代初頭までは危険だったかもね)ので、そこんところよろしくです。
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