どうも皆さま、ボンジョルノ♪
”昨夜は、ピッツェリアに行ってきました。秘境の島にも一応いくつか外食できるお店がありまして、昨夜のお店は老舗中の老舗。
島に電気がない頃(90年代!)も自家発電をして、島に遊びに来る人たちが(電気を求めて)集まるお店だったところ。
トマトソースありが好きな人と、なしが好きな人
だいたいピッツァは、トッピングオーダーしますが(適当に食べたい具を言って作ってもらう)、こちらは”カナーレ“というオリジナルピッツァ。

モッツァレッラ、ポモドリーニ、アンチョビ、塩漬けカッペリ、バジリコ、オレガノ。で、トマトソースはなし。
トッピングオーダーするときも、モッツァレッラ、ポモドリーニ、アンチョビ、玉ねぎ、バジリコ、オレガノが多いので、ほとんどいつもと同じじゃないか!ってピッツァですけど、美味しかった♪オススメの具の組み合わせです。
ピッツァの具は、突然のヌテッラなど極端に個性的なもの以外は、ある程度決まった食材の組み合わせになってくるので、似た感じはよくあること。
いずれにしてもトマトソースなしが好きです。
”トマトソースありが好きな人と、なしが好きな人”。世の中には2種類の人間がいるものです。
世の中には自分と違う人がいる、ただそれだけのこと
以前、「世の中には2種類の人間がいて、それは”痔になる人とならない人”」というのを聞き、なーるほどー!とイタく感心したことがあります。
それは、ほぼ不可抗力的なものなので、わざわざ「なんでそうなの?」と問い正す事でもなく、「あーそうなのねー」という以外の感想をもつものでもない。世の中には自分とは違う人が存在するということをサラリと認識•受け入れる方法として、大変便利な考え方だなと思っています。
それは、不可抗力的なもの以外、好みでの分類でも有効。
例えば、”カフェにお砂糖入れる・入れない””日焼けしたい・したくない””牡蠣が好きな人とダメな人”。
牡蠣が食べられない私は、よく「人生の半分損してる」などと言われますが、測りようもないことでマウント取るな。と思うけど、会話を膨らませようとしてくれてるのかもしれないので、「じゃ、牡蠣が食べられるだけで私の2倍人生得してるとでも?」などとは答えません。
ほか、”結婚する人としない人””早く帰りたい人と帰りたくない人”など。そこに事情もあるだろうことに、いちいち「なんで?!」とか問うのは野暮って話。
世の中には自分とは違う人もいる。ただそれだけのこと。
昨夜、”●●な人とそうじゃない人リスト”に追加がありました。それは…。
整形する人としない人
毎夏、同じ島に通っているため、同じ顔ぶれに年1で会うんですが、その久々に見る顔が、やや同じになってるんですよね。
メンバーが同じという意味ではなく、造作が似てきてる…ってこと。
プゥっとめくれた感じの唇と、なんか入れた?な頬(長谷川京子さん風)。
整形というよりは“お直し”ってところですかね。
特に、若い時にとても綺麗だった人たちが、50オーバーあたりから入れますね〜何かを(ヒアルロン酸でしょーよ)。

ナチュラルなままの人といじっちゃう人と、パックリ別れる50代。その違いはなんなのか。
よくこのブログに登場するチンチアさんなんかは、ナチュラルに歳を重ねて今も美人なんだけどな。周りの環境(整形する人が多いとか)や、歳をとっていくことにアクセプトできない何かがそうさせるのだろうか?
あ、ぜんっぜんスルーしてないw!
したいからしてるんだろうし、そういう人もいる。ってだけのことですね。
久々に見て「え。」っとはなったけど、見慣れた後は、ちゃんと(?)スルーしてますw!
しかし、ホント唇いじる人(labbra rifatteという)多いんだよなー。もはやデフォルトなくらい。
えっと、ではではどうぞ良い火曜日を!
Buon martedi!
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