どうもー皆さま、ボンジョルノ♪
今日は祝日のはずでしたが、、、お店も開いてるし、普通に平日っぽいパレルモでした。なぜかは不明。
「今日、エピファニアで祝日だよね?」と聞くと、友達が「Nessuno crede in questa festa」というんで、ちょっと笑ってしまいましたw。
※動詞Credere(信じる)を使いますが、「誰もこの宗教行事を”信じてない”」ではなく、「どーでもいーんじゃね?」みたいな感じになります。クリスマスと比べたら、あまり重要視してないという意味。
あ、今年はちょいちょいイタリア語挟んでいこうかな。
そういえば、年越し蕎麦を食べてなかった
イタリアにおいては、21世紀の今でもまだ、クリスマスはその重要な位置を保ってますが、それ以外の祝祭日はこうやって、だんだんボヤ〜っとなっていってしまうんでしょうかね。伝統大好きなイタリアでさえ。
昨今、日本の大晦日の除夜の鐘がうるさいとクレームが出るとか出ないとか。それで、鐘を打たないお寺さんが増えてると聞き、ちょーっと寂しい気がしましたよ。除夜の鐘が、うるさいってどういう感性なんだろう?
あー除夜の鐘を聞きながら、コシのある美味しいお蕎麦が食べたいなぁ!っていうか、食べたかったなぁw。
▼数年前のカポダンノでは、Youtubeで除夜の鐘の動画を流して、ゆるいお蕎麦を食べたりしましたけれども。
大晦日と元旦は、伝統的なイタリアのお正月料理レンズ豆とコテキーノなどをいただきましたが、年越し蕎麦はおろか、お雑煮もおせちも、食べてない!ままお正月が終わりました。。。
※ザンポーネも伝統ですが、爪が混ざってたりすることがあって怖いので食べません。
新年6日目の年越し蕎麦
手首が不自由過ぎて、レンズ豆の写真さえ撮ってないくらい何もかもが億劫だったので、、、作る気もおきず。
…私が作らないと、誰も作らないのでね。←それが超マイノリティとして海外に暮らすということですけれど、海外在住の日が浅いときは「寂しい」と感じた覚えもありますが、もはや、もう何も感じず。むしろ「気を遣って誰か「作ろうか?」くらい言えやw!いや、作られてもまずそうだから、あえて触れないでおこっと」とか思ったりしていましたw。
急に食べたくなった2025年、6日目。
明日は、七草粥ですけど何か?な年越し蕎麦です。
市場で買ったザクザクのバッカラ・フリットを添えて、かなり美味しくできて、初蕎麦、大満足。あ、初蕎麦じゃダメじゃんw。年越し蕎麦なのに。
ちなみに、市場のバッカラ・フリットが蕎麦うどんによく合うんですよー。去年、この美味しさに気づいて以来、ハマってます。
年明けの年越し蕎麦は、ただの蕎麦では?
というのも、年明けから手首の調子がすこぶる良し!で(祝)、やっーと作る気が起きた。というわけです。リハビリが効いてる感じ。
そんな自己都合の年越し蕎麦@年明けには、年越し蕎麦ならではのご利益があるかどうか?ですが、「骨折だから仕方ない」と神様も多めに見てくれるような気はしています。
もしくは、2025年末の年越し蕎麦をだいぶ早めにいただいた。と解釈しても…。ってことは、この先食べるお蕎麦はすべて年越し蕎麦…となると、相当なご利益w!
…こんな日本の伝統も、いつかなくなってしまうのかしらね?
ではでは、細く長く良い火曜日を!
Buon martedi!
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