3リットルの下剤と1リットルの涙〜パレルモの夏の怪談4

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どうも皆さま、ボナセーラ♪ピンキー入院騒ぎもそろそろ終幕です。

手術直前にエスプレッソ?!バングラさんの悲劇〜パレルモの夏の怪談3
親切だけど、なかなかに鬱陶しい入院仲間に囲まれた、 珍奇...

バングラさんの悲劇の数日後、ピンキーは一時帰宅。一時帰宅許可を取るのに…P先生のおかげで丸1日を費やしましたけど。



3リットルの下剤で魂も抜け切った待合室で2時間半

一昨日、病院から「腸のレントゲン取るから、薬取りに来て-」と電話があったので(ちゃんと電話はくれるんだなーと感心)昨日取りに行くと、それは、下剤でした。

午後から再び絶食となり、夕方から3リットルの下剤を数時間かけて飲み、「1リットルの涙」を流して散々な夜を過ごした翌朝8時、フラッフラになりながら約束の時間にレントゲン室のある病棟へ向かいました。

絶食&下剤でフラッフラになりながら、「終わったらラザニア食べるんだ」という夢を支えに待合コーナーで待つこと…

待つこと…

待つこと、

2時間半

おいおい。

待合コーナーはすでにぎっしりで、例のごとくおばちゃんたちが「待たせすぎ!」とぎゃんぎゃん騒ぎ始めたところに、とあるレントゲン技師が通りかかり、

「何やってんのよぅ!!!!」

と餌食にされたとき、

「ほら、アンタもなんか言いなさい!この日本人たちは8時から待ってんのよっ!」(いや、旦那はイタリア人だけどね)とダシ、いや応援もしてくれたりして心強かったりはしました。

そして11時頃、美人なレントゲン専門の先生が登場。

「朝から、緊急自体が何軒も発生しちゃって。待たせてごめんね!」

と吠える野獣の群れをなだめすかし、恐怖におびえる予約1番のピンキーをレントゲン室に誘いました。

このドアの先(↓)に、レントゲン室がいくつもあります。ちなみに、要らない情報ですが、ミニスカの方は男性らしいです(byおばさんたち)。

おばさんたちの「ガンバって!」的な視線を背中にドアの向こうへ消えていったピンキー。。。ガンバれ〜。



無機質なレントゲン室の床で見つけた…夫の手がかり

ドアの向こうで、怯えるピンキーは何をされるのか。

まあ…簡単に言えば、チューブで造影剤とガスを腸に注入し、様々な方向から撮影するようです。

そうして、30分ほど過ぎた頃、美人の先生がドアから出てきて「トゥッタ〜ポースト Tutto a posto!(全部オッケー)」と笑顔を見せ、とっとと華麗に去っていきました。

あ、どうもー…なんて後ろ姿を見送っていたら、ドアの陰からレントゲン技師が私を呼ぶ。

「奥さん、ちょっと…」

えー?なんですか?と中に入ると、

あら?うちの夫がいませんけど?

くるりと見回すと、レントゲン機材がズラッと並ぶ無機質な部屋の床に、

あ、見たことのある…、

パンツ…。

本体はどこだ?

パンツの先には、開かれた扉がありました。

その暗い扉の奥をのぞくと、

小さな暗がりの中に、

苦悩の表情をこちらに向ける、

裸の男性が一人…。

おや、私の夫じゃありませんか?!

「ううう…痛い…。」

苦しげな声で訴えてます。



暗がりに潜む老兵よ…戦争は終わった!さあ我が家へ帰ろう

暗がりに目が慣れると、はっきりとピンキー(夫)であることが確認できましたw。話を聞けば、レントゲンの後、激痛で駆け込んだらしいのです。造影剤とガスをグイグイ入れたんだもんね…カワイそうに!

っていうか、なんでドア開けてるの?

「電気、切れたから明かり取りに…」

あ、そう…。

とりあえずパンツを拾い、半開きにしたドアの前でしばらく待っていると、痛みはだんだん治まってきたようで、奥の暗闇から、

「レントゲンの最中に暴発してしまうケースもあるらしいんだけど。僕は耐えに耐えたんだ…。先生と技師から「Bravissimo! ブラヴィッシモ!」と称賛されたのだよ…。」

などと、か細い声で武勇伝をツブヤキ始めたので、どうやら山は越えたらしいとホッとしました。が、暗闇で真っ裸で何を語ってるんだ!早く出てこい。

ドアの隙間から、

「小野田さん!戦争終わりましたよ!さあ、日本に帰りましょう!」

などと声をかけていると、心を開いた(?)老兵がジャングルから出てきたので、捕獲。パンツをはかせて、無事帰還した次第です。

* * * * *

検査結果は良好とのことで、完全開放=退院となりました。

ああ、よかった…。

これからしばらくは自宅で食餌療法をしつつ、体力の回復を待ち(なんと5キロも痩せてしまった!)、日常生活に戻れる見込みです。

長々と愚痴にお付き合いいただいて、ありがとうございました!そしてお見舞いを下さった皆さま、本当にありがとうございます。

ちなみに、P先生以外は、よい先生もたくさんいました。美人なレントゲン先生も技師もピンキーによれば「優しいし早かった」そうです。

イタリアのシステムが、優秀な先生たちを生かし切れないせいで公立病院はダメだ的な感じになってるのではないかと、そんな気もしますけれど、ただ…友人先生もいたのでコネあり特別扱いも、ややあったかもしれない(手術しなくて済む程度だったのに、割と長めに入院できたのもそのおかげとか。バングラさん…)

老後イタリアに住みたい!なんて話をタマに聞きますが、病院関係にガッツリコネを獲得してからか、私立病院用にガッツリ蓄えてからかがよいと思いますよ〜。

私はできれば老後は日本が良いなぁ…歳とって…具合が悪い時にまでイタリア語はハードっす。

旧Ameba Blogからの転載記事です。

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