「君たちはどう生きるか」を観てー心に残った魚とイタリアの秀逸記事

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どうもー皆さま、ボンジョルノ♪

ピエモンテから帰って早々、久々に映画館で宮崎駿監督の「君たちは、どう生きるか」を観てきました。

▼旅話は続きます。こちらにまとめました。

音声吹き替えなしの日本語&イタリア語字幕でハヤオ・ミヤザーキ

「ハヤオ・ミヤザーキの最新映画の原語上映が今日で最後だよ〜!」という情報が映画好きの友人から入り、万象繰り上げて、駆け込み鑑賞。間に合いました(ホッ)。

というのも、イタリアでは、外国の映画は概ねイタリア語吹き替え(やめてー)。故に、原語上映は、とても貴重なんですよー。

特に駿ファンというわけでもないのですが(トトロを観ていない希少な日本人です)、ゴールデン・グローブ賞も受賞したし、イタリアでも話題だし、ちょっと観てみたいかも?と思っていたので、渡りに船です。

しかし、雨降りの寒い夜(21時半スタート)という悪条件。誰もいないに違いない♪という期待は見事に裏切られ、想像以上の混みっぷりは、さすがのミヤザーキでした。

だーれもいない寒い夜なのに、映画館前に人だかり…!

ちなみに、イタリア語タイトルは、Il ragazzo e l’airone(少年とアオサギ)です。

どっちかと言うと「君たちは、この先どうする?」が観たい?

そして…途中、唐突なインテルバッロ(途中休憩)を挟み、…眠気と戦っているうちに、また唐突に映画は終了。←思わず「え?」って言っちゃっいましてw。静かな館内に響いたものだから、焦ってしまいました。

いやーなんだか全然わからなくってw、わかろうと努力してる最中だったから〜。一緒に行った友人たちは、インテルバッロの前から寝てて、「え?」で起きた。

ワラワラが、すこぶるかわいかった!

優しく内面世界を描くファンタジーなアニメは、逆に難しいものですね。

その上、愛や友情、勇気や家族など、普遍的なテーマであればあるほどに、心に柔らかいものや、不安に慄きつつも前を向く=未来への期待を持っていないと、なかなか入り込めないもんなんだろな。などと思いましたよ。

最後に見たハヤオは、千と千尋の神隠し。アレ良かったよね?と言ったら、「テーマは同じでしょ」と(寝てた)友人に言われ、ああ、そうか。アレを観た頃はまだ、心に柔らかいものがあって、見えない未来を見ていたのかな。なんて懐かしくなりました。今は、いつか…の先には老後しか見えないw。

要するに、老後を見据えた人が見ても、心に響くものがない。っつーことなのかしら?そもそも、まずタイトルが「君たちはどう生きるか」だったわ…。「君たちこの先どうする?」って映画が見たい。

めちゃくちゃ悩んで目が覚めた!

しかしながら、全編通して描写の細やかさには見入ってしまい(ファスナー上げるところや、ナツコさんの立ち居振る舞い、あの時代の女性特有の淑やかさが香っていた…)、ああ、これが世界のハヤオか。と感心はしたんですよ。

繊細な技術のみならず、邪悪なペリカンや、頭が空っぽそうなインコたちの集団の恐ろしさ。全体を覆う不穏さ、それに、内臓や血液の表現の気持ち悪さも容赦なく。。。特に、魚が…!不気味で不気味で!(内臓がモリモリーって出てくるシーンは、ゲー。って声が出たw)

それは、夢に見てしまうほどに。

夢に出てきたのは、残念ながらワラワラではなく…

その夢は:あの内臓が飛び出た巨大な魚が、焼き魚として目の前に出され、「耳が美味しいよ」とオススメされたから、どれどれ?と耳を探すと、人間のそれ!で、またゲーw。となりつつも、それでも食べるかどうか?を激しく悩み、歯ぎしりしながら悩んで、目が覚めた。。。というもの。

ピンキー(夫)に「どうする?食べる?」と聞いてしまうくらいリアルだった。

謎の夢は、全映像が宮崎駿アニメ調の映像。

いやー普遍のテーマ過ぎてぇw、なーんて高をくくっていても、しっかり心に入り込んでしまい、独自展開も加えて脳内再生させてしまう宮崎駿アニメのチカラよ…(畏)。

魚の耳を食べるかは、いったい何を意味していたのか分かりませんが(ピエモンテ帰りで魚不足ではある)、心のどこかにまだ、純真で柔らかい部分があるのかもしれないと、今さら認めるのも小っ恥ずかしい!などと意固地になってるかもしれない自分を、認めざるを得ない感が残りました。ほら、ババァは素直じゃないからさ。

…トトロも観てみようかな。

バニティフェアの解説記事が秀逸

ところで、基本的に映画を観るときは、できるだけ前情報なしで、何が心に残るか知るのが好きなので(今回は、魚が残ったわけですが)、観た後にイタリアで出てる解説記事をざっとみたところ、このバニティ・フェアの記事が全方位に秀逸だったのリンクを貼っておきます。

ほんの一部ですが、気に入った部分を要約すると:

「少年とアオサギ(君たちはどう生きるか?)」を観ることは、まるでサイケデリックな冒険の旅に乗り出すことであり、約2時間に渡り繰り広げられるモザイクの断片を組み立て、再構築するために、何日も再考することになるだろう。

宮崎駿は天才であり、映画で、簡単なものではない。西洋文化の視点からだけでは深く読み解くのに時間がかかる

アオサギは、古代ギリシャ神話の冥界の川の渡し守、カロンテ(カローン)のような役割だろう。日本の古事記では、サギは死者の世界と現世を繋ぐ神の使いでもあり、ふたつの世界を結びつける案内人として登場する。

まひと(主人公)が訪れた場所は、神の力によりそこにいるさまざまな種類の登場人物で構成されており、ダンテ・アリギエーリの神曲の「地獄篇」であると示唆される。サギは、ダンテが地獄と煉獄に降りる際に同行した、ウェルギリウスの分身とも解釈できる。

深い…。天才宮崎駿の集大成となる映画が、意固地なババァが半寝であしらえる映画であるわけもなしw。数日かけて、モザイクを紡ごうと思います。

あ、ちょうど今、寝てた友人の1人からメッセージが来て、反省したらしくw、イタリア語吹き替え版で再チャレンジするそうです。

ではではどうぞ素直な良い土曜日を!
Buon sabato!

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