フィレンツェで泊まったお宅を”本”と照合してみました

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今回のピンキー(夫)講演のお供のフィレンツェで泊まったところは、ホテルでもB&Bでもありませんでした。

フィエーゾレの中腹の…ヨーロッパ大学のそばに佇む昔の邸宅…。

なんか、出そう!(←主に幽霊とか)

丘の中腹にあるにもかかわらず、なんだか暑いし、草ぼうぼうだし。

できればフィレンツェ旧市街のど真ん中にでも泊まりたいところでしたけど、”おまけ”は口をだせませぬwので仕方ありません。

しかし、聞いたところによると15世紀だか16世紀だかに建てられたヴィッラを、とあるリッチなオランダ人芸術家が1800年代の終わり頃だか1900年代の終わり頃だかに買取り修復増築したお屋敷なんだとか。

本までありました。

お孫さんだかひ孫さんだか、ともかく子孫のおばちゃんが汗だくになりながら、熱く…それはそれは熱く…先祖の偉業を2時間くらい解説してくれましたが、あまりの暑さとおばちゃんの圧が強く…熱暑圧の三拍子揃ったアツアツ状態で聞いたので、あまり覚えてませんがとにかく昔のまま変わってない。という次第。

脳は、アツに弱いものです。

 

たしかに、入り口の門のところもスケッチのまま。

本は、芸術家のおじいさんかひいおじいさんの日記のような屋敷についての記録が、スケッチと共に紹介されていました。

 

用意されたお部屋は、元カンティーナ(ワインの空き瓶貯蔵室)w。目の前の青いプールのある風景もほぼ同じ。

早朝過ぎて曇りですが、晴れてたらほぼ同じ。

水着の方が描かれていますが、とてもじゃないけど入れる風ではないプールでしたけど…。透明度ゼロ…。フィエーゾレの湧き水で満たされたプールは、長年放置されているようで、落ち葉や虫の死骸満載で栄養価は高そうでしたが、昔は涼やかな水が湛えられていただのだろうか?

そっぽ向いてるライオン風のテラコッタも同じ。

振り向くと、ちょっとボンちゃんに似てる気がします。

チャオ、ボンちゃん❤!

どうもインドネシアのバリや日本にも訪れたらしい先祖芸術家さんは、ヨーロッパにおけるバリ芸術の第一人者なんだとか。日本の仏像的なものもあるらしいですが、見つけることはできませんでした(敷地は広大な上にほぼ坂だったので、歩き回る気力がそもそもなかったとも言う)。

地下には、なーんとエトゥルスキのお墓もあるとか。

 

イタリアにいると何百年も変わらない昔のまま、そのまま〜を直に体験体感できる機会が多くて、大変に興味深く、またとてもとてもありがたいことだなぁなどと思います。でも、そういうところは、基本的に不便。

不便もリアル歴史体験のうち。

と思うので、大したことではないのですけれども、

 

カヤがめっちゃ近いwwww。

 

のは、ちょっと困りました。

カンティーナを改装してロフトにしたところがベッドルームゆえ、天井がめっちゃ低いのに、カヤ。ふわりとカヤが広がる前に、ベッドが来るという仕組みです。

これは、無理があるだろうw!

鬱陶しいので、カヤを捲り上げ、丸い枠の上にひっかけて結んでみたけど、大きな結び目が、ちょうど目の前でユラユラする状態になり、寝返りを打って、うっかり端っこの方に触れちゃったりすると、

「なんか、いた?!」

って、毎回びっくりしちゃってよく眠れませんでしたw。でもたった数泊のことだからね…どーでもいいっちゃどーでもいいのよ。

 

昔の建物あるあるの複雑怪奇な間取りに、よくあるほっそい階段を上がると、

ふわっと開ける景色の向こうに、フィレンツェが見えました❤。

今はバスやタクシーで20分くらいでヒョイっと行けますが、先祖芸術家さんが購入した頃は、遠いところだったでしょうね。…あー車はもうあった時代か。もし馬車だったら…馬は昇りも大変でしたでしょうけど、下りはもっと大変だったのでは…?膝悪くしそう。

 

なんてことを糸杉を眺めながらボンヤリと話しながら、こちらのお屋敷に滞在中のヨーロッパ大学研究員の方に招かれた夕食を待つ間に見た夕日@20時。

フィレンツェの日の入りは、パレルモより微妙に遅いのでした。

イタリアって縦に長い!

 

ということで、フィレンツェの旅はおしまい♪

 

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